アクセプト「ロシアン・ルーレット」

INFORMATION

    アクセプト

    アクセプト(ACCEPT)は、スコーピオンズと並び世界的に有名なドイツのヘヴィメタルバンド。1970年代より活動を続け、ヘヴィメタルを形作った典型的バンドの一つとして、また欧州・日本で根強い人気を誇るジャーマンメタルの最初期の類例として知られるバンドの一つである。

    経歴

    デビュー前後

    バンドの母体は非常に個性的な声と風貌(後述)で有名なヴォーカリストであるウド・ダークシュナイダーが1970年代初頭にゾーリンゲンで結成した。その後、彼を慕うミュージシャンが加入・脱退を繰り返す形でメンバーチェンジを繰り返すが、1979年にウルフ・ホフマン(ギター)、ヨルグ・フィッシャー(ギター)、ピーター・バルテス(ベース)と、1stアルバム制作後に加入するステファン・カウフマン(ドラムス)というラインナップを完成させ、アルバム"ACCEPT"でデビューを果たす。

    デビュー・アルバムはいかにも欧州的な叙情派バラードや、後のスピード・メタル路線につながるパワフルな曲などが収録されていたが、2枚目のアルバ ム"I'm a Rebel"では自分たちの意志ではなかったというアメリカン・ロックを強要され、不本意な作品となった。この時期はまだ商業的な成功にはほど遠かった。

    ヘヴィ・メタル・バンドとしての地位の確立

    1981年、3枚目のアルバム"BREAKER"発表時、英国ではNWOBHMのムーブメントが起こっており、それに呼応する形で彼らの存在が認められていった。このころからマネージメントを引き受けるようになったマネージャーのギャビー・ホーク(現在はウルフ・ホフマンの妻でもある)の活躍もあり、バンドはジューダス・プリーストの前座としてワールド・ツアーを行い、ヨーロッパのみならず米国でも高い評価を得る。

    ヨルグ・フィッシャーの脱退(後に復帰)、ハーマン・フランクの加入を経て、アルバム"Restless & Wild"、"Balls to the Wall"で彼らのスピード・メタル、ヘヴィメタル・バンドとしての地位が確立される。

    日本公演

    1984年、英国ドニントンパークで開催された第5回モンスターズ・オブ・ロックへの出演により世界的な名声を得たあと、1985年、不朽の名作とされる"Metal Heart"をリリース。このアルバム発売の直後に初の日本公演を行う。絶頂期にあったそのパフォーマンスは伝説的なライブとなった。この模様は当初、名古屋市公会堂で の公演を収録した6曲入りのライブ・アルバム"Kaizoku-Ban"として発売され好セールスを記録したが、その後"Staying a Life"として大阪公演がリリースされた(ビデオも存在するが、映像は日本公演のものではない)。"Princess of the Dawn"では、日本ではあまり知られていない曲だろうと思っていたらしく、観客の大合唱にウドが驚いている様子までが収録されている。

    ヴォーカリスト交代から解散へ

    1986年、"Russian Roulette"リリースするが、直後にウドの脱退というあまりにも衝撃的な事件が起こる。ウドは自己のバンドU.D.O.を結成。なお、このバンドの1stアルバム"Animal House"の収録曲は実はACCEPTのメンバーによる作品で[要出典]、メンバーがプレイしている曲も収録されている。脱退に至った真の理由としては、ウルフ・ホフマンと妻でありマネージャーのギャビーがバンドとしての権利を独占していたことが関係しており、事実上の解雇と言われている[誰によって?]。

    その後、ヴォーカリストとしてアメリカ人のデイヴィッド・リースを、またヨルグが再度脱退したためジム・ステイシーを加入させ、1989年に アルバム"Eat the Heat"をリリース。しかし、この頃ステファン・カウフマンが激しいドラミングと長年のツアーから背骨の異常をきたし活動不能になる。ここにいたり、ウ ルフはバンドの解散を決意。ウルフは写真家に転向、デイヴィッドはバンガロークワイア(Bangarole Choir)を結成、ステファンはU.D.O.をはじめとするジャーマンメタルバンドのプロデューサー(2度目の解散後、ギタリストとして再結成したU.D.O.に加入)として、またピーターはドン・ドッケンのバンドに招かれてそれぞれ活動する。

    再結成

    バンド解散後に発表されたライブ・アルバム"Staying a Life"の好評を受け、1993年、"Objection Overruled"でバンドは再結成を果たす。

    この再結成は歓迎をもって迎えられ、スピードにこだわったこのアルバムは欧州・米国での好セールスを記録する。しかしスタジオはともかく、ライブでも2人目のギタリストを加入させず、彼らの特徴でもあったツイン・ギターが再現されなかった。

    また再結成2作目の"Death Row"(1994年)は時代に合わせたようなヘヴィ・ロックに転向する。さらにステファンの体調が再び悪化し、ステファン・シュヴァルツマン(当時Running Wild ~ U.D.O.)のサポートでツアーを何とか終える。1996年には"Predator"発表後バンドは2度目の解散。なお"Predator"製作時にウドはステファンをギタリストに転向させ、2人目のギタリストとしてバンドに戻すことを提案したが、ウルフに却下されている[要出典]。

    2度目の解散後、ウド、ステファンはU.D.O.を再結成。ステファン・シュヴァルツマンも復帰(後に脱退、ハロウィンに一時期加入)。ウルフは写真家としての活動の傍ら、1997年にソロ・アルバム"Classical"を発表。ピーターはジョン・ノーラムのアルバムに参加するなど、セッション活動をしている。

    2005年にロシア・日本・欧州ツアーのため再々結成。ここではステファン・シュヴァルツマンの他、ハーマン・フランクを久々に呼び戻し、ツイン・ギターの構成であった。

    2009年にボーカルにマーク・トーニロ-を迎え、3度目の再結成。2010年にはLOUD PARK10に参加のため、久々の来日を果たす。

    特徴

    ツイン・ギターは初期のバラードや"Fast as a Shark"では両方がハーモニーを奏でる(ツイン・リード)こともあるが、一般的には片方がソロの時には片方がバッキングを弾くということが多い。

    楽曲に関してはメンバー全員のクレジットとなっていて実際の作曲者が分からないが、全体として非常に分かりやすいヘヴィメタルである。

    メンバー

    • Vocal:ウド・ダークシュナイダー~デイヴィッド・リース~ウド・ダークシュナイダー~マーク・トーニロー
    • Guitar:ウルフ・ホフマン
    • Guitar:ヨルグ・フィッシャー~ハーマン・フランク~ヨルグ・フィッシャー~ジム・ステイシー~(一時不在)~ハーマン・フランク
    • Bass:ピーター・バルテス
    • Drum:フランク・フリードリヒ~ステファン・カウフマン~(サポートメンバー)~ステファン・シュヴァルツマン

    ディスコグラフィー

    • 「殺戮のチェーン・ソー」Accept (1979)
    • I'm a Rebel (1980)
    • 「戦慄の掟」Breaker (1981)
    • 「レストレス・アンド・ワイルド」Restless & Wild (1982)
    • 「ボールズ・トゥ・ザ・ウォール」Balls to the Wall (1984)
    • 「メタル・ハート」Metal Heart (1985)
    • 「ライヴ・イン・ジャパン」Kaizoku-Ban (Live, 1985)
    • 「ロシアン・ルーレット」Russian Roulette (1986)
    • 「イート・ザ・ヒート」Eat the Heat (1989)
    • 「ステイング・ア・ライフ」Staying a Life (Live, 1990)
    • 「オブジェクション・オーヴァールールド」Objection Overruled (1993)
    • 「デス・ロウ」Death Row (1994)
    • 「プレデター」Predator (1996)
    • 「オール・エリアズ・ワールドワイド」All Areas - Worldwide Live (Live, 1997)
    • The Final Chapter (Live, 1998)
    • 「ブラッド・オブ・ザ・ネーションズ」Blood Of The Nations (2010)
    • 「スターリングラード」Stalingrad(2012)

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